徳島城の姫様 糸 根津館長

岡山前泊ながら10分前到着。蜂須賀は内高35後45に藍は含まず、大名16強、明治半ばの徳島は人口10強、かなり豊か。蜂須賀は万年山に一人正室(多くは江戸に墓)多くの側室の墓あり。蜂須賀の姫50の内の16早世、10くらいは井伊、10くらいは格下大名、公家5、家老と旗本各1嫁ぐ。(考えたら同格当主同士は一人、姉妹は数人だから下に行くのは当たり前かな)

重喜は男子4人がいたが、長女を産んだお時を厚遇、政略結婚を進める姿勢の表れか。

正勝長女は初め中山直親、後に蜂須賀家老となる賀嶋長昌に嫁ぐ。次女糸(大坂生まれ説は間違いか)の結婚は蜂須賀側では天正8、黒田側では天正12。家政は早くから家康、秀忠と関係を作っていたが、黒田はそうでもなく、徳川の誘いに乗り離縁、再婚。両者絶縁は、享保12、水戸分家、守山の松平頼貞が仲介し、再び友好的に。

糸の娘の菊は旗本5?千石井上庸名(黒田家老井上之房息子)妻で長生き、化粧田二千石と夫分千石が黒田より。

寛永17や19の蜂須賀忠英の記録では年四回、三回糸改めて宝珠院を見舞う。かなり大事にされた様子。寛永20に74歳の宝珠院は江戸に(みなみは前年庸名死去が理由かもと指摘した)、翌年忠英の姪二人を連れて帰国。