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私の立っている地面。

自分の仏法理解がどの程度なのかよく分かる道元の言葉に出会うことができた。

応庵曇華(おうあんどんけ)禅師が「直下頓に不可得なること大虚空の如く、亦虚空の形段もなきことを豁了せば、表裏一如にして智境双泯、玄解供に亡じ、三際平等ならん。」と述べた言葉に道元が「なにをか虚空とする。おもひやるに、応庵いまだ虚空をしらざるなり。虚空をみざるなり。虚空をとらざるなり、虚空をうたざるなり。「頓豁了不可得」といふ、仏祖道未夢見なり。恁麼の力量、いかでか要易会の所勘ならん。はかりしりぬ、仏祖の大道をいまだ参究しきたらずといふことを。仏法もしかくのごとくならば、いかでか今日にいたらん。」と評した言葉がよく分かるからだ。

虚空(空間)、底、存在等々それらはみな不可得であって、あるのにない、ないのにある、あるでもなくないでもない、無いという在り方で有る、等々いままで私が理解してきたそれらの言葉がこの応庵曇華禅師の言葉にぴたりと符合するからである。それに対して道元が「応庵いまだ虚空をしらざるなり。虚空をみざるなり。虚空をとらざるなり。虚空をうたざるなり。はかりしりぬ、仏祖の大道をいまだ参究しきたらざるといふことを。」と評したことそれ自体が私自身の現在の仏法理解の地平を表している、ということがよく分かったのだ。

そしてこのあとで応庵をそれなりに評価していることは、また私自身の歩いている道が仏道から逸れていないということも証ししてくれてもいるので私もまた励まされるのである。