特殊伐採

住宅に隣接した木を伐倒しました。写真の他にも屋根にかかる栗の木を屋根に落とさず切り落としました。それを見ていた人に頼まれて家横の柿の木の枝落としをしました。普通の伐倒と違って木登りをする為疲れます。

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授業中に死亡事故って何があった?

調べりゃすぐに出てくるのだろうけど、調べてない。

当日おまわりさんが来て、この父親を会場から引きずり出したのなら、警察に矛先が向いてもおかしくないと思うけど、この記事では何が問題かいまいちよくわからないな。

授業中に亡くなった中学生の卒業式、学校側が遺族の出席を拒否して波紋 父親「限界に近づいています」と心境吐露

\(誕生日)/

人間50年

下天のうちをくらぶれば 

夢幻のごとくなり 

一度生を受け

滅せぬもののあるべきか

織田信長の辞世の句としてあまりにも有名な言葉。

読んだまんまだけど

『人の一生なんてたかだか50年。天上世界から見たら夢や幻のようなもの。

生きてる者は、いつか必ず死ぬのだ』

みたいな意味。

戦国の世を一気に駆け抜け、そして唐突にその生涯を終えた刹那的とも言える彼の人生を象徴する言葉として、我々日本人の記憶に残っている。

これは信長のオリジナルではなく、何かの物語だか詩の一節らしいけど、あまりにも彼の人生とマッチしており、また、信長の死生観を象徴するかのような言葉でもある。

辞世の句とは本来死ぬ時に残す言葉だが、混乱の極みとなったであろう本能寺で、自決する前に語れるような状況だったのか?或いはそれを聞いて後世に伝える者がいたのかなどは疑問視されているが、死ぬ直前に彼がその口から実際言ったのではないとしても、心中はこの言葉のようであったのではあるまいか。

もしくは本能寺の変を生き延びたとされる森蘭丸あたりが聞いていたのかもしれない。

どっちにしても、信長なら言ったんじゃないのかな。いや、言って欲しい。言ってくれ。

もう言ったってことでいいじゃんか。

我々現代人はそんな風に解釈してるのだろう。

さて、俺も織田信長と同じ歳になりましたよ。さすがにここまで来るのは長かった。

でも、アッと言う間だなw

この半生を振り返って見て…

やっぱり、夢幻のごとく。

だね。

人生は1度しかない。

やりたいことがあればやっちゃいましょう。

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強制されることか?

読みたくなけば読まなくてもいい。

ラノベや薄い本みたいなものでもある程度の知識は得られるものだ。

読書から得られる知識は半端ない。知識は永遠の宝物だ。

酒を飲んでいて、話ができない人は大抵本を読んでいない。

俺は毒舌家になりたいね。

何を言っても嫌味に聞こえない、そんな毒舌家に。

まだまだ知識は足りないよ。

読書離れ進行「なぜ読書をしなければいけないの?」への回答

39−7  絶対の真理1

39−7  絶対の真理1

究極の真理とは、「我即神也、人類即神也」のことである。それとは別に絶対の真理と言われる法則がある。この二つの言葉は白光誌では全く100%使い分けられているわけではない。“概ね”といったところである。両社とも何度も繰り返されていることなのだが、それだけ重要なのである。究極の真理とは本質論、認識論である。本質論は、現象の如何にかかわらず不変である真理のことである。それに対し、絶対の真理とは現象論、行動原理である。それは今ある姿を説明し、あるべき姿を顕わす原理のことである。先ず、絶対の真理はどのように説かれて来たのか。

“心の法則”のことは、「個の絶対なる真理」「絶対なる法則」「全人類に課せられている厳然とした宇宙法則」と言われている(96-05)。心の法則とは:

『世の中と自分とは、はっきりと一線で画されているのです。  

あくまでも個人の運命のこと、自分自身の人生のことは、自分の心の法則のみを通じて繰り広げられてゆくのです。

世の中の情勢、状況、環境はすべて個の反映です。この結果によってもたらされるものです。今生は世界があって個が存在するのではなく、あくまでも個が先に存在し、そこに初めて世の中が形成されてゆくのであります。』(96-05)

この法則からすれば、社会環境、政治経済によって個が決定されるということはありえない。逆に、個の集積が社会を決定しているのである。人間はついつい、不都合を社会や他者のせいにしたがる。しかし、そんなことはあり得ないのである。すべては自己責任である。

心の法則は、「宇宙の法則」「想念の法則」とも言われる(97-02)。宇宙の法則とは:

『自分が望むもの、求めるもの、必要なものはいつでもどこでも何でも手に入ります。自分が認めさせすれば無限に入ります。そして無限に実現してゆきます。自分が少しでも否定すれば、かつまた認めなければ一切自分の手の中には入りません。』(97-02)

従って、宗教依存、偶像崇拝、権能の力の移譲、神を外に求める生き方は卒業しなければならないと説かれる。そして、二十一世紀はセルフサービスの時代と言われる。宇宙の法則からすれば、『あくまでも人生は自らが築き自らが創造してゆくべきものであります。他に頼らず依存せず、自らの内に輝かしき才能を見出して生きるべきなのです。(二十一世紀の到来とは)一人一人の生き方を一人一人が責任を負う、セルフサービスの時代であります。』(97-02)ということになる。

絶対真理とは『あらゆる現象の原因は、すべて自分自身の内なる心にある。その内なる心が外なる現象をつくり出している』ということとされる(05-10)。真に生きることは『自分自身を信じることから始まる。自分自身を信じるとは、すなわち“自分は運命に翻弄されるものではなく、自らの運命を支配し、創造してゆくものである”ということを信じることである』(05-10)とされる。絶対真理、心の法則=因縁因果の法則という単純な理解では事足りない。これは単に起きてきた物事を受容する法則でもない。神人が天命を完うしてゆく道そのものである。                          

八田與一さん

八田與一さんをご存知ですか。

台湾は日清戦争の後にいただいた領土でしたが、

当時の台湾は、大変な事になっていて、

(首狩り族がいたり、また部族間で言葉が通じない、抗争がよくある、阿片中毒者多数、などなど)

とても統治できるような状態ではなかったのです…。

それを日本が何とか、それはそれは沢山の苦労の上に、文明的な生活ができるまで引き上げたのでした。

大金と苦労の上に文明的な生活に引き上げた点では、朝鮮と同じですが、

朝鮮人は、一応服を着ていたし、言語が統一されていたし、店や道も整備されていたりはしていました。

制度も整備も不十分、粗野で不衛生ではありつつも、台湾よりは文明的だったのです。

そういうわけで、1910年以降、陸軍の志願者を募る際、台湾を除外したのです。

しかし、日本兵となった数万の朝鮮人の中には、狡猾かつ残虐性を合わせ持った人々の割合が高く、

これまで極限状態でも日本兵が保ってきた規律と品位を乱す、タチの悪い兵隊となったようですが…。

しかし、人種差別を良しとしない日本軍は、そんな朝鮮人にも将兵への門戸を開いています。

台湾人の志願者に門戸が開かれたのは、第二次世界対戦が後半になってからですが、

どうやらその頃には、礼儀正しい人々に生まれ変わっていたようです。

彼らが未開の民族から脱却したのは、明治期の日本人の活躍があったから。

八田與一さんは、困難を乗り切りダムを作り、周辺を穀倉地帯に変えた人。

台湾の教科書にも記載され、銅像も建てられています。

が、最近、この銅像の首が切られました。

台中統一派の人が犯人みたいですが…。

どんな状況でも品位を保つ事というのは、台湾においても難しいのかな。

それとも大陸から入ってきた人々の気質かな…?

http://mera.red/八田與一像破壊

あ、蒋介石銅像の頭部も切られたみたいですね…。

蒋介石は、中国にとっても重要な方なのでは…?

今となっては、邪魔者なのでしょうか。

どちらの件も、残念な事だと思います。

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チューリップ

馬見チューリップフェアに行って来ました。天気よすぎて、孫の細い目が更に細くなってます(^_^)

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